モダンスイマーズ『死ンデ、イル。』稽古場レポート 18.7.16
演劇学科演技コース4年 新藤みなみ

変わって、いく

***
なにかが違う稽古場

あれ…?
違う稽古場に来たみたいだ。

本日、7月16日。
舞台『死ンデ、イル』稽古最終日。
前回、私がお邪魔したのは4日前だ。

4日前に私が書いた稽古場レポートの
一文を引用してみよう。

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「通し」の準備は黙々と行われた。

稽古自体の開始は14:00、通し開始は14:30だった。
14:00までに役者の皆さんは稽古場に集まり、各々アップを行う。
必要以上に互いに干渉せず。黙々と。
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しかし今日、稽古場の扉を開けると…

絵本の話で盛り上がるキャスト陣と演出家・蓬莱さんがいた。
公演の初日・二日目に行われるアフターイベントの話だろうか。

きょうは、全然「黙々」という雰囲気じゃなかった。
どちらが良い、という話ではなく、
この空気の変容ぶりは、驚く。

キャスト陣だけでなく、スタッフさんの空気も朗らかだ。
やわらかい空気の中、
各々がアップや打ち合わせを行う。

最後の稽古である。
今までの積み重ねが、彼らをこうさせているのだろうか?

何が、稽古場をこうさせているのか。
通しをみたら、何か分かるだろうか。

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もう会えないあなた(けっこうネタバレあり)

次に→  ***

このマークがくるところまでは、ネタバレがあります。
ネタバレを見たく無い方は、次の***まで読み飛ばしてください。

私がこの舞台を目撃したのは二度目で、
すべてを知っていると、冒頭から面白い。

なぜなら、
冒頭では『全ての事件が終わっている』からである。

物語を把握しているからこそ、ひっかかるポイントも多い。

例えば、事件を搾取し、消費するようにみえる記者の男。
彼の立ち回りが気になるようになる。

物語は、失踪した少女・七海に
何があったのか?を振り返る形で展開していく。
記者の男は、過去の振り返りを、
そして、ストーリーを動かす役割を担うが……。

他の登場人物は見えていないのに、
彼だけが最初から「見えている」ものがある。
それは一体、なんだったのか?

また、失踪した少女・七海は、背中をみせることが多い。
その背中には、もう誰も触れられないし、表情をみることはできない。

私たちは、もう存在しない七海の背中をみつめるしかない。
私たちは、いなくなってしまった全ての人たちを、想像するしかない。
二度目の観劇では、そんな事を考えた。

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近くて遠い、わたし(又は稽古場レポート)

結局、通しをみても、
稽古場の空気が変わった原因は分からなかった。

私はあくまで稽古場を《見学》する立場であり、
彼らの仕事を静かに、覗き続けるしかない。

公演を観に来る観客は、稽古の結果だけを受け取りに来るが…

稽古場を見学してしまうと、
その創作過程に立ち会わなければならない。

だが、わたしがその創作過程に踏み入る事は、無い。

観客よりも作品に近いようで、
最も作品と離れたポジションに、
わたし(又は稽古場レポート)は居たのかもしれない。

もっと違う形で稽古場を訪れていたら、
稽古場の雰囲気が和らいだ理由、分かったのだろうか。

少し、寂しく感じた。

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変わりたがっている

誤解を恐れないで書く。

『稽古場で上演を繰り返す』行為には、
限界が存在するのかもしれない、と感じた。

《稽古場》には、変化がない。
反対に、空間として安定感があるため、創作には適している。
(てか、適してないとヤバい。なにも創れない。)

変化のなさを具体的に書くと、
たとえば、稽古場には窓が無く、出入りする人間も変わらない。

しかし、
劇場は、毎日おおきく変化する。

最も大きく変化するのは《観客》だ。

いままでスタッフしか観ていなかったものが、
初日という一点を越えた瞬間、
約250人もの《観客》に観られることになる。

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「イル」ことは《みられる》ことなのかもしれない
______

と、前回の稽古場レポートに書いた。

大勢の人に観られるということは、
ものすごくエネルギーを使う。
自分は存在しているぞー!と、表出し続けることなのだから。

人前に立って、プレゼンやスピーチをしたことのある人は
なんとなく分かるかもしれない。

しかも、来てくださる《250人》は、
毎公演・違う人々で構成される。

《250人》のエネルギーは、日によって形を変える。

具体的に書くと…

いびきをかいて寝ている人が50人居る公演と、
眼光するどく俳優を見つめる50人の居る公演では、
舞台上の俳優が感じる印象は、違う筈である。

それは、俳優から客席が見えていなくても感じる違いだ。

その違いは空気のような微妙さをもって、俳優の中にはいっていく。
結果、俳優が変化する。

そして、稽古場には無かった変化が、起こる。

『死ンデ、イル』

この作品は、変化を求めている。
毎日の変化に耐えられる域まで、達している。

つまり、
『稽古場で上演を繰り返す』には、限界なのだ。

***
つぎは劇場で

繰り返し書くが、稽古最終日。

通しが終わり、
役者さんたちはバミリ(舞台はここまで!みたいなテープの印)を
淡々と床からはがしていく。

稽古場は、ただの公民館に戻っていく。

稽古場でこの作品をみることは、もうない。
次は、変化しつづける劇場で。