モダンスイマーズ『死ンデ、イル。』稽古場レポート 18.7.12
演劇学科演技コース4年 新藤みなみ

みつめて、イル

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部外者、稽古場に入る

いきなり通しである。

演劇創造によるモダンスイマーズ・稽古場見学は、7月5日からはじまった。
そして、それより前から、
舞台『死ンデ、イル』の稽古は始まっている。

私が稽古場にきたのは、本日7月12日がはじめてだ。
そりゃあ、私にとっては「いきなり」だが、
モダンスイマーズの皆さんからしたら、順等な流れである。

「通し」とは、稽古の段階で、上演を頭から終わりまでやっちゃうことである。つまり、ほぼ本番と同じことが行われる。
本物の舞台装置や照明はないが、可能な限り本番に近づいた上演になるのだ。

それを、今日、きゅうに来た私が、観てしまう。
しかも無料で。いいのか。

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モクモククジラの儀式

「通し」の準備は黙々と行われた。

稽古自体の開始は14:00、通し開始は14:30だった。
14:00までに役者の皆さんは稽古場に集まり、各々アップを行う。
必要以上に互いに干渉せず。黙々と。

通し開始の5分前になると、役者の皆さんは何も言わずに、稽古場に備え付けられた幕のウラに待機した。
まさに黙々。一挙手一投足が、黙々。
しかも、「通しが始まるよー」みたいな呼びかけも、特になく。

私は不安になった。私に分からない超音波とかで、
互いに呼びかけ合うコウモリみたいなスタイルだったらどうしよう、とか。
あ、モダン「スイマーズ」だし、コウモリよりクジラの方がいいかな…とか。

通しが終わっても、黙々。

終演のきっかけと同時に、ダメだしの時間が告げられ、
その時間までは各々が各々のことをしに、稽古場の外へと消えた。

ダメだしを受けるときも、黙々。

やはり「ダメだしはじまるよー」感、ゼロ。
ぬるっと始まるのだが、内容は全然ぬるっとしていない。不思議だ。
また、この日の稽古がはじまって、
はじめて一つのことを共有して会話がなされたのが、このダメだしだった。

この黙々感、どう例えたら一番わかりやすいか考えたが、
法事やお葬式などの《儀式》の前後の雰囲気が一番近い。

このカンパニーの人々は、互いをプロとして信用しあっているのだと、
このとき分かった。

言葉が必要ないのである。もちろん、超音波も。

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まなざしのはなし(ネタバレあり)

次に↓
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このマークがくるところまでは、ネタバレが含まれるので、
真っ白な状態で公演を楽しみたい方は、
次の***まで読み飛ばしてください。(具体的なネタバレはしません)

公演のタイトルは『死ンデ、イル』
フライヤーには、「死んで存在する彼女。 死ンデ、イル。」とある。

物語は、失踪した少女の関係者が集められ、
ライターの男が彼らにインタビューしていく形で進められていく。

とある手がかりを元に、彼らは少女の人生を追体験する。
彼女を見つめ、時には彼女から目を逸らしながら。

彼女にとってどんなに楽しい出来事でも、辛い出来事でも、
常に彼女を俯瞰する視線が舞台上にある。
しかし、ある点を境に、その視線が逆転する。

「イル」ことは《みられる》ことなのかもしれないと、私は思った。

演劇的な出来事がたくさん起こる「過去」
ビデオカメラを通して詳細まで映し出される「現代」
二つが折り重なる瞬間のしかけも面白い。

もうちょっと分かりやすく書くと…

「過去」のシーンは、演劇的な勢いをもって進められる。
時空の越え方とか、すごい。めちゃくちゃ笑った。
そこには、どこか爽やかさがある。
それは、過去と私たちに距離があるからだろうか。少女がイルからだろうか。

しかし「現在」のシーンに、その爽やかさは無い。
例えば、口論になるシーンは「過去」「現在」どちらにも存在するが、
その解決方法が全然違う。具体的には書かないけどね!

そして、その時間軸が混ざる瞬間が、訪れる。
私はそこが好きだったし、劇場で行われるその場面を想像するのであった。

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ないものだらけの稽古場から

「通し」という一つの儀式に立ち会い、興奮している。
劇場空間で演劇を観るのとは、何かが違うのだ。

そう、やはり、《儀式》感がつよい。

舞台装置は無く、小道具や衣装も完全には揃ってない。
場所は公民館の一室だし、時々そとを通る電車の音が聞こえる。
お客さんは関係者のみ。
稽古場って、無いものだらけだ。

ただ、その場にいる全員が、何かを信じている。
しっかりと。

演じる人々は、自分たちが行う上演を信じていたし、
見守る人々は、彼らの行いを信じていた。

稽古場にいた全員が、劇場という空間に頼れないからこそ、面白かった。

ないものだらけの空間にしか存在し得ないモノが、確かにあった。
劇場で観るどんな舞台よりも、演劇が演劇だった。

本来は、部外者が立ち入ることのない場所に私が侵入し、
観られる筈ではないものを観ている。
だからこそ、この感動を得る事ができたのではないか。

全てが揃ってないからこそ得られる感動というのも、不思議である。

稽古場でこんだけ感動してたら、
モノが揃った状態のシアターイーストではどうなってしまうのか。
劇場に「イル」俳優たちを、みつめてください。